田中久重

田中久重

基本データ

福岡県(筑後国久留米)

生年月日:1799(寛政11)年 

没年月日:1881(明治14)年11月7日

田中久重は寛政11年、久留米藩、現在の福岡県久留米市で生まれた。父は腕の良い鼈甲職人。久重は、東洋のエジソンとも称えられるほどの発明家で83年の生涯に様々な物を作った。

その才は、幼少期から発揮された。わずか9才で、開かずの硯箱をつくって友人や大人たちを驚かせている。20歳頃には、からくり人形を作っており、「からくり儀右衛門」の愛称で人気を集めている。しかし、幕府の財政が苦しくなると倹約令が敷かれ、からくり興行ができなくなる。

そこで久重は、人々の生活の役に立つ物を作ることにからくりの才を用いるようになる。「懐中燭台」や「無尽灯」では、人々の生活に明かりを提供した。53歳で作り上げた万年時計は、後世に残る傑作となた。

佐賀藩、久留米藩に招かれ工業の発展に大きく貢献した。

明治に入ると、新政府に招かれ東京に移住、電話機を試作したり報時器を製作したりするなどして政府の期待に応えた。

自らは、店舗兼工場をつくり、様々な発明品を世に送り出した。これが、後の東芝へと発展したことで久重は東芝の祖と称えられている。

田中久重年譜

1799(寛政11)年 久留米藩(現福岡県久留米市)で田中弥右衛門の長男として生まれる。

1807(文化 4)年 開かずの硯箱をつくる。

1819(文政 2)年 五国神社などでからくりを披露

1820(文政 3)年

   |      弓曳童子、童子盃台を製作

1829(文政12)年

1834(天保 5)年 大坂船場に居を構える。懐中燭台を発明

1837(天保 8)年 京都に移住。無尽灯を発明

1849(嘉永 2)年 「近江大掾」(おうみだいじょう)の称号を得る

1850(嘉永 3)年 須弥山儀を製作

1851(嘉永 4)年 万年時計(万年自鳴鐘)完成

1853(嘉永 6)年 佐賀藩の理化学研究所(製煉方)で働く

1855(安政 2)年 蒸気車・蒸気船(外輪式)の雛型製作

1862(文久 2)年 佐賀藩「電流丸」の蒸気ボイラー完成

1864(元治 1)年 久留米に移住。久留米藩、佐賀藩の両藩兼務

1866(慶応2)年 久留米藩で大砲(アームストロング砲)を鋳造

1873(明治 6)年 東京に移住。

1874(明治 7)年 電信機の製造をはじめる

1875(明治 8)年 東京・銀座に店舗兼工場を構える

1878(明治11)年 アメリカから輸入された電話機から独自の電話機を試作、法時期を製作

1881(明治14)年 東京の自宅で亡くなる。享年83。

参考文献等

『東芝の祖 からくり儀右衛門―日本の発明王 田中久重伝』

『小説 田中久重 明治維新を動かした天才技術者』 (集英社文庫)