田中角栄

田中角栄

基本データ

出身地:新潟県

生年月日:1918(大正7)年5月4日

没年月日:1993(平成5)年12月16日

家紋:剣片喰(丸にけんかたばみ)

第64・65代内閣総理大臣。尋常小学校(現在の中学校)の学歴ながら、「コンピューター付きブルドーザー」と言われた記憶力と実行力は、政界でも群を抜いた存在だった。1947(昭和22)年、国会議員に初当選すると、己の力で権力の階段を駆け上がり、1972(昭和47)年、54歳という若さで首相に就任した。角栄は、『日本列島改造論』を表し、首相に就任すると、すぐに日中国交正常化を成し遂げた。

1976年、ロッキード事件で逮捕されるが、その後の選挙で圧勝を続ける。首相を退任した後も自民党最大派閥「田中派」を率いて、「キングメーカー」と揶揄されるほどの影響力を持ち続けた。

 大変な努力家で、六法全書を暗記するほど読み込んでいたといわれる。政治家の技量が問われる法律の立案では、自身が議員時代に議員立法を33本も成立させている。1本の議員立法を成立させることも難しいといわれるなか、33本という数字は驚異的というほかない。

田中角栄年譜

1918(大正 7)年 新潟県刈羽郡二田村で生まれる。

1933(昭和 8)年 二田小学校高等科を卒業。

1934(昭和 9)年 上京

1937(昭和12)年 共栄建築事務所を設立。

1941(昭和16)年 田中建築事務所を開設。

1943(昭和18)年 田中土建校長株式会社を設立。年間施工実績で全国50位内にはいる。

1947(昭和22)年 第23回総選挙に民主党から立候補し当選。

1948(昭和23)年 第2次吉田茂内閣で法務政務次官に就任。

1954(昭和29)年 自由党副幹事長に就任。

1957(昭和32)年 第1次岸信介内閣で郵政相に就任。

1962(昭和37)年 第2次池田勇人内閣で大蔵大臣に就任。

1965(昭和40)年 自民党幹事長に就任。

1972(昭和47)年 6月『日本列島改造論』を発表。7月第64代内閣総理大臣に就任。
          9月日中国交正常化を実現。12月第65代内閣走路大臣に就任。

1974(昭和49)年 金脈問題を追及され12月に内閣総辞職。

1976(昭和51)年 ロッキード事件で逮捕され、自民党を離党。第34回総選挙で1位当選を果たす。

1985(昭和60)年 脳梗塞に倒れ東京逓信病院に入院。

1986(昭和61)年 第38回総選挙で1位当選。

1990(平成 2)年 政界を引退。

1992(平成 4)年 中国の江沢民総書記が目白の田中邸を訪問。

1993(平成 5)年 12月16日死去。享年75。

参考文献等

『田中角栄100の言葉』(別冊宝島編集部編、宝島社)

『田中角栄 相手の心をつかむ「人たらし」金銭哲学』(向谷匡史、双葉社)

『田中角栄完全ガイド』(丸山大次郎、晋遊舎)